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         藤崎宮例大祭(熊本市)

  封印11年、通称は残る(朝日新聞2001年10月21日から抜粋)

熊本市の藤崎八幡宮の例大祭は9月15日、ハイライトの飾り馬行列を迎えた。
町内会や高校同窓会など62団体が、62頭の馬を追って夜まで中心部を歩く。総勢1万6千人、観客は30万人にのぼる。
それぞれの馬の後ろに法被姿の数百人。かねや太鼓をならして、馬をはやし立てる。
「ドーカイドーカイ」 「追うたー追うたー」 「イヤササッサー」
思い思いのかけ声は、かって「ボシタボシタ」に統一されていた。それが禁じられて11年になる。

藤崎宮は、加藤清正が朝鮮出兵の時に祈願をした神社だ。その後、「朝鮮滅ぼした」の意味で「ボシタ」のかけ声が始まった、という説がある。
90年7月。熊本の在日朝鮮・韓国人の団体が連名で、「ボシタというかけ声がを二度と使わないようにしていただきたい」と藤崎宮に申し入れた。
馬追いの団体からは、「滅ぼしたなんて意味で言ったことはない」と反発の声があがったが、宮司が「悲しむ人がいるのは神のみ心に沿わない」と説得。その秋から、かけ声「ボシタ」は事実上禁止になった。

「滅ぼした」問題は承知している。かけ声で「ボシタ」を使うことはない。でも仲間内のおしゃべりではそこまで考えない。「それに、例大祭といわれてもピンとこない」

「ボシタ」は時代を映して浮沈した言葉だ。
終戦の一時期、「滅ぼした」を連想させるのは良くないという配慮で、かけ声は「ワッショイ」や「ドーカイ」に代わった。
70年には、祭りの行列に加わっていた「ボシタ踊り」が大阪万博に参加することが決まったが、歴史教育者や市議らの抗議で中止になった。
82年。「伝統に従う」という理由で、一転してかけ声が「ボシタ」に統一された。
馬追いの歴史ははっきりしないが、幕末にはすでに「ボシタ」のかけ声が使われていたらしい。語源は定かではない。性行為を表す方言「ぼぼした」が詰まったとする説や「見ましょう」という意味の朝鮮語「ポプシダ」がなまったとする説。日本が軍事色を強めた昭和初期以降、この説が強調されていった。

在日韓国人の作家、姜信子さんは14年前、東京から熊本市内に越してきた。「ボシタのような大きなお祭りは初めて見たので面白いと思いました」
間もなく人から「滅ぼした問題」を聞かされた。
でも姜さんは日常生活で抵抗なく「ボシタ」と口にしている。
「不快な思いをする人がいる、という簡単で感情的な理由で言葉を消してしまう方がいやなんです。 考える回路を断って、言葉だけ封じても、結局どの立場の人も納得できないんじゃないでしょうか」

  祭り行列がんじがらめ(朝日新聞2001年10月22日から抜粋)

熊本市の藤崎宮例大祭は毎年9月11日から5日間にわたって行われる。目玉は最終日の馬追い行列だ。馬と、勢子と呼ばれる数百人からなる団体単位で市街地を練り歩く。総勢1万6千人。女性も目立って増え、競うように趣向を凝らした髪飾りをしてくる。
造花あり、水引あり、羽飾りや、頭からはみ出るような樹脂製のものもある。
「まるで花魁(おいらん)。見苦しか。伝統ある神事にそぐわないでしょう」

伝統に則した整然とした行列となるよう指導する「審査委員会」が神社の委嘱を受けて82年発足。
規則は細部にわたる。
法被はでん部が隠れる程度の長さ。たすきの長さは法被の下端まで。台車に乗ってはいけない。踊りは必要最小限。馬にアルコールを飲ませない・・・・・・。
馬追い行列は、かっては希望する団体はみな参加できる行事だった。
違反が目立った団体は、次の年の春審査委員会に呼び出され、注意を受ける。始末書で済む場合もあるが、違反が深刻だったり、度重なったりすると、事実上の出場停止になる。
団体側は、規則を守るのに懸命だ。
祭り当日、派手な髪型の女性がいれば美容院に逆戻りさせる。金髪で現れる勢子がいるため、髪染めスプレーも欠かせない。
「カラーソックスも、首のタオルも駄目。校則より厳しいですよ」という。
「必要な規則があるのは分かるけど、今の祭りは決まりが多すぎて窮屈。こんなこと言っているのが分かっただけで大変ですよ。なんでも連帯責任だから団体に迷惑かけちゃう」。

いま多くの団体が心配していることがある。
改正休日法で、再来年から9月15日は休日とは限らなくなる。平日の祭りでは、参加団体が減り、さびれてしまわないか。
日程変更を提案するために団体間のネットワークで準備会合を開いている。